
中東って、いろんな国が入り組んでいて複雑そうだけど、実はそこに暮らす人々をざっくり分けると、歴史的に大きな影響を与えてきた3つの主要民族が見えてきます。結論からいってしまえば、中東の歴史と文化は「アラブ人・ペルシャ人・トルコ人」という3つの民族が軸になってつくられてきたんです。この記事では、それぞれの民族のルーツと、どんなふうに中東をリードしてきたのかを見ていきましょう。
アラビア語を話す人々が「アラブ人」とされ、今の中東でもっとも広く分布しています。ただしこれは“人種”ではなく、“文化と言語のアイデンティティ”によって形成された民族なんです。
アラビア半島中部(ネジド地方)に起源を持つ遊牧民(ベドウィン)がアラブ人の源流。7世紀にイスラム教の成立とともにアラブ帝国が拡大し、アラビア語と文化が中東一帯に広まりました。
現在のサウジアラビア、イラク、シリア、ヨルダン、レバノン、UAEなどはすべてアラブ系国家。アラビア語とイスラム文化を共通項として、「アラブ世界」としてのつながりを形成しています。
「アラブ」と混同されがちですが、ペルシャ人(イラン人)は別系統。言語も文化も異なる独立した民族で、中東における文明的・文化的な発信源のひとつでもあります。
紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャは、世界最古の巨大帝国のひとつ。その後もサーサーン朝、サファヴィー朝などを経て、現在のイランに繋がっています。言語はペルシャ語(ファールシー)。
7世紀にイスラム化されても、詩・建築・哲学・芸術などの分野でペルシャ文化は強い存在感を放ち続けています。イスラム世界の中でも、独立した思想と宗教解釈(特にシーア派)が特徴です。
アラブ人やペルシャ人が農耕中心だったのに対し、トルコ人は中央アジア系の騎馬遊牧民族。軍事力を背景に、長く中東を支配した王朝を築いてきました。
ウズベキスタンやカザフスタン方面から西へ移動してきたトルコ系部族が、セルジューク朝を経てオスマン帝国(1299〜1922)を打ち立てます。オスマンは中東・北アフリカ・東ヨーロッパにまたがる巨大帝国でした。
1923年にアタテュルクによる近代化でトルコ共和国が誕生。言語はトルコ語で、今も中東における非アラブ・非ペルシャの強大な存在として独自路線を歩んでいます。
この3大民族だけで中東を語るのは不十分。クルド人、ユダヤ人、アッシリア人、アルメニア人など、多くの少数民族が中東の歴史と多様性を支えてきたんです。
イラク、シリア、トルコ、イランにまたがる山岳地帯に居住。独自の言語と文化を持ち、自治や独立をめぐる運動を続けています。
古代からパレスチナ地方に根づき、離散を経て1948年にイスラエルを建国。現在は政治・宗教・民族の対立の中心にもなっています。
中東は「アラブ人・ペルシャ人・トルコ人」という三つの民族が軸になって成り立ってきた地域。でもそこに多数の少数民族が絡み合い、争いも共存も繰り返してきたのが、この地域のリアルです。だからこそ中東は、ただ地図を見ただけじゃわからない、奥深い歴史とアイデンティティを内包しているんですね。