
中央アジアって、「人が少なそう」「遊牧民ばっかり?」なんてイメージを持ってませんか?でも実際は、トルコ系、ペルシャ系、モンゴル系、ロシア系まで、さまざまな民族が入り混じって暮らす地域なんです。
結論からいってしまえば、中央アジアは「騎馬民族の移動と帝国の興亡によって形成された多民族のモザイク地帯」なんですね。今回は、そんな民族分布とルーツをざっくり見ていきましょう!
まずは「今の中央アジアにはどんな民族が住んでいるのか?」から確認していきましょう。国ごとに多数派は違うけど、どこも多民族国家なんです。
カザフ人(約70%)が多数派だけど、ロシア系(約15%)も多く、ウクライナ人やドイツ系も少数ながらいます。ソ連時代の移住政策が影響しているんですね。
ウズベク人(約80%)がメインで、ロシア人、タジク人、カザフ人、朝鮮系などが共存。特にタジク人との境界はあいまいで、ブハラやサマルカンドにはタジク系住民が多いです。
キルギス人(約75%)が中心ですが、ウズベク人(南部)、ロシア系(北部)も多く、民族間の対立が社会問題になることも。
タジク人(約85%)はペルシャ語系の民族。他にはウズベク人(10%)、キルギス人、ロシア系などが点在しています。
トルクメン人(約85%)が多数派。ほかにウズベク人、ロシア人、カザフ人などが住んでいますが、国家としては民族統一色が強めです。
中央アジアの民族構成は、遊牧民の移動、帝国の征服、ソ連の政策によって複雑に形作られてきました。ここでは主なルーツを大きく3つに分けて紹介します。
カザフ人、キルギス人、ウズベク人、トルクメン人などはトルコ語系の言語を話し、騎馬文化や遊牧の伝統を持っています。もともとは中央アジア北部やモンゴル高原にルーツがあり、西へと移動しながら定住化した流れがあります。
タジク人はペルシャ語系の言語を使い、他のトルコ系民族とは異なる文化背景を持ちます。古代バクトリアやソグディアナといったオアシス都市文化の流れをくんでいて、定住・都市生活・学問に強みがありました。
13世紀のモンゴル帝国の支配を経て、中央アジアにはモンゴル系の血や文化が入りました。さらに近現代では、ロシア帝国〜ソ連の支配によりスラブ系や朝鮮系の移住が進み、多民族性が一気に広がります。
中央アジアの多民族構成は地域の豊かさでもありますが、政治や社会の不安定要因にもなり得ます。
公用語は国ごとに違うけど、ロシア語が共通語として使われ続けていたり、ウズベク人とタジク人で言語がまったく違ったりと、教育や行政にも影響が出ています。
例えばキルギス南部のウズベク人とキルギス人の衝突や、少数民族の政治的排除など、現代にも尾を引く問題が続いています。
中央アジアの民族分布は、一見バラバラに見えるけど、よく見れば遊牧・定住・交易・帝国という歴史の流れのなかで形成された、必然のモザイクなんです。それぞれの民族がどんな背景を持ち、どんな土地でどんな暮らしをしてきたのか。それを知ることで、中央アジアという地域の奥行きがグッと深く感じられるはずです。