
バーレーンの国旗
出典:Wikimedia Commonsより
国の基本情報 |
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国名 | バーレーン(Bahrain) ※正式名称:バーレーン王国 |
首都 | マナーマ(Manama) |
人口 | 約150万人(2024年推計) |
面積 | 約780平方キロメートル |
公用語 | アラビア語 |
通貨 | バーレーン・ディナール(BHD) |
政治体制 | 立憲君主制 |
主要宗教 | イスラム教(シーア派多数、スンニ派王族) |
国際的地位 | ペルシャ湾の戦略的要地に位置し、金融と観光を軸に経済多角化を進める |
建国背景 | 1971年にイギリスから独立し、王政国家として発展。アラブの春以降、政治的緊張も存在。 |
バーレーンって名前、聞いたことはあるけど「どこにあるの?」「何があるの?」って思う人、けっこう多いと思います。でも実は、アラビア半島のすぐそばに浮かぶ小さな島国なのに、経済も文化も外交も意外と影響力がある“中東の隠れた実力者”なんです!今回はそんなバーレーンについて、地理・歴史・政治・社会のポイントをわかりやすく紹介していきます!
バーレーンはペルシャ湾に浮かぶ33の島々からなる小さな島国で、すぐ近くにはサウジアラビアやカタールがあります。国土は東京23区の約1.5倍くらい。首都はマナーマ。人口は約150万人、その半分以上が外国人労働者です。
陸続きではないけれど、サウジアラビアとは「ファフド国王橋」でつながっていて、車でも行き来できるんですよ。
国民の多くはアラブ系で、イスラム教シーア派が多数派ながら、王族や政府はスンニ派中心というちょっと珍しい構図。宗教的バランスが政治にも影響しています。
バーレーンの歴史は古く、古代文明「ディルムン文明」の中心地として知られています。その後もペルシャやアラブ、ポルトガル、イギリスといった列強に支配されながら、中東の海の要衝として存在感を放ってきました。
紀元前3000年ごろから栄えた交易中心の都市国家で、メソポタミアやインダス文明との交流もありました。海のシルクロードの中継地だったとも言われています。
その後、ペルシャ帝国→イスラム帝国→ポルトガル→オスマン帝国→イギリスと、次々と支配が入れ替わるなかで、交易と漁業(特に真珠)が主な生業となります。
19世紀末にはイギリスの保護領となり、事実上の植民地状態に。1971年に独立し、現在のハリーファ家が王政を敷いて国家運営を行うようになります。
1981年にはGCC(湾岸協力会議)に加盟し、サウジやUAEなどと協力関係を築きつつ、イランとの微妙な距離感も保っているのが外交上の特徴です。
バーレーンは立憲君主制を採用していて、現在の国王はハマド・ビン・イーサ・アール・ハリーファ。王族が政府・軍を掌握する一方で、議会や選挙制度もある“ハイブリッド型”の体制です。
国民の約7割がシーア派と言われているのに、政治や警察・軍などはスンニ派が独占。この宗派バランスがたびたび社会的な緊張やデモの原因になっています。
2011年のアラブの春では大規模なデモが発生し、一時は政府が非常事態宣言を出すほどの危機に。最終的にはサウジ軍の支援も受けて鎮圧されましたが、今も根本的な解決には至っていません。
バーレーンはアメリカ海軍第5艦隊の本拠地があるなど、軍事的に非常に重要なパートナー。そのため、西側諸国との関係は非常に深いです。
バーレーンは石油資源が限られている分、湾岸諸国の中でも早くから経済の多角化を進めてきました。金融、観光、通信、製造業がその柱となっています。
マナーマには中東の香港と呼ばれるほど多くの銀行・保険会社・証券会社が集まっていて、イスラム金融のハブとしても機能しています。
石油埋蔵量は少ないけれど、精製・輸出インフラは整っているので、工業製品やアルミなどの製造業もそれなりに発展しています。
バーレーンは湾岸諸国の中でも女性の就労率が高い国。大学教育や起業支援も進んでいて、都市部では働く女性をよく見かけます。
小さな国ながら、多様な文化が融合しているのがバーレーンの面白さ。海洋文化、アラブ文化、そして現代的な都市文化がミックスされています。
バーレーンでは真珠採取の民謡や伝統舞踊ファジュリなど、海にまつわる文化が今も生きています。伝統楽器を使った音楽も根強い人気があります。
首都マナーマでは、近代的なビルと歴史的建築が混在。ギャラリーや現代アートイベントも増えていて、クリエイティブな雰囲気が育ってきています。
魚料理、フムス、ビリヤニなど、アラビア・インド・ペルシャ文化が混ざった多国籍な料理が当たり前に食卓に並ぶのも、外国人が多い社会ならではです。
バーレーンって、地図ではすぐ見えなくなっちゃうくらい小さいけど、古代から現代までずっと“つなぎ役”として重要なポジションに立ってきた国なんです。宗教や政治のバランスも難しいけど、それでも多様な文化が共存して、柔軟に変化を受け入れてきた。その懐の深さに、ちょっと感動しちゃいますね。