アジアの雑学

「アジア」とは何か

アジアって言葉、日常で何気なく使っていますが、改めて考えると一体どこからどこまでを指すんでしょうか? 実は「アジア」という言葉には、地理や歴史、文化、政治など様々なレイヤーで意味があって、簡単にひとことで説明できない奥深さがあります。 まずは、テーマについて、いくつかの視点から紐解いてみましょう。地理的な定義から歴史的な背景、文化の多様性、現代の国際情勢、「アジア人」というアイデンティティの曖昧さまで、幅広く探っていきたいと思います。最後には、筆者なりの「アジア」の捉え方も少しだけお話ししますね。

 

 

地理的な「アジア」はどこまで?

アジアの地域区分地図

アジアを南、東、西、南東の地域に分けた地図

出典:Bill william compton / CC BY-SA 3.0より

 

まずは素朴な疑問、地理的に見てアジアってどこからどこまで?という点です。一般的には「ヨーロッパ以外のユーラシア大陸とその周辺の島々全部」がアジアということになっています。実際、ユーラシア大陸の約80%はアジアで、世界人口の60%以上が住む巨大な地域です。日本もその東の端っこに位置しているわけですね。

 

ヨーロッパとの境界線

ヨーロッパとアジアの境界線の複数の定義を示した地図

出典:Aotearoa / CC BY-SA 3.0より

 

とはいえ、ヨーロッパとアジアの境界線はかなり人為的です。地図上で見ると、明確な海で区切られているわけではなく、ユーラシア大陸の途中に勝手に線を引いて分けているんです。伝統的には、ウラル山脈やウラル川、カスピ海、ボスポラス海峡(トルコのあたり)なんかを境界にすることが多いですが、これは「ヨーロッパとアジアを分けたい」という歴史的な約束ごとのようなもの。

 

自然環境の多様性

おおまかに言えば、トルコやロシアの一部から東が全部アジアです。西はエジプトより東側、つまり中東(アラビア半島やイラン周辺)まで含めてアジアに入りますし、南はインドからインドネシア、北はシベリアまで広がっています。この広大な中には50近い国々があり、砂漠もあればジャングルもある、寒いツンドラもあれば南国の島々もあるという具合に、自然環境もバラエティ豊かです。

 

国際的な分類の揺らぎ

ちなみに、国際的な場でも「アジア」の範囲は時々揺れます。たとえばスポーツの世界では、オリンピックとサッカーW杯でアジアに含まれる国が微妙に違ったりするんです。オーストラリアがサッカーではアジア枠に入っていたりするのは不思議な感じがしますが、それだけ「どこまでがアジアか」は場合によって違うということでもあります。

 

歴史的変遷と「アジア」という概念の誕生

実は「アジア」という呼び名は、もともと西洋(ヨーロッパ)側から生まれたものなんです。古代ギリシャ人やローマ人にとって、世界は自分たちの知る地中海世界が中心でした。彼らは地中海の東側に広がる未知の土地をまとめて呼んでいて、その語源は古代メソポタミアの言葉で「日の昇るところ(=東)」という意味の「アスー」に由来します。

 

航海時代に広がる概念

その後、時代が下ってヨーロッパ人が世界各地を航海するようになると、「アジア」と呼ばれる範囲もどんどん拡大していきました。とはいえ、それはあくまで「ヨーロッパから見た東側全部」という便宜的なまとめ方だったとも言えます。

 

オリエンタリズムが形作ったイメージ

19世紀末から20世紀初頭のアジアの地図

出典:Philipandrew/CC BY-SA 4.0より

 

近代の西洋列強がアジアに進出していく中で登場したのが、オリエンタリズムという考え方です。これは西洋人が東洋(オリエント=アジアや中東の地域)の人々や文化を捉える際に生まれた偏った固定観念で、「神秘的だけど遅れている」「魅惑的だけど野蛮かもしれない」といったイメージを強化しました。

 

東洋 vs 西洋の図式化

1860年、北京における第二次アヘン戦争時のイギリス軍

出典:Public domainより

 

こうしたオリエンタリズムの影響で、「アジア=東洋」という一括りのイメージが西洋世界で定着。中国ではアヘン戦争を期に明確に、日本でも明治時代以降に「東洋 vs 西洋」という図式が意識されるようになり、自分たちを含む広大なアジア圏を「東洋」と称するようになります。

 

文化的多様性: 一口にアジアと言っても…

アジアの文化はとにかく多様です。一言で「アジア文化」とまとめるのがはばかられるほど、地域によって習慣や価値観は千差万別。宗教ひとつ取っても、仏教、ヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教、儒教など主要な宗教が軒並みアジアに揃っています。

 

言語と文字体系の豊富さ

言語を見ても、インドではヒンディー語や英語をはじめ何十もの言語が話され、中国でも北京語、広東語から少数民族の言葉まで様々です。言語体系も豊富で、アルファベットやアラビア文字、ハングル、漢字かな混じり文など、文字体系も実に多彩です。

 

生活様式のコントラスト

生活様式だって違います。砂漠でテント生活を送る中東の遊牧民もいれば、超高層ビルに暮らす香港やシンガポールの人々もいる。同じアジアでも、食べるものも着るものも住み方も全然違うんです。

 

共同体を重んじる文化

強いて言えば、家族や共同体を重んじる傾向や、宗教・精神的な伝統を大切にする文化は多くのアジア社会に共通するかもしれません。

 

現代のアジア: 経済ブロックと国際政治

上海・浦東のスカイライン

出典:Photo by Dynastie des Tang/ public domain より

 

21世紀は「アジアの時代」と言われるほどで、経済成長を遂げた国々がひしめいています。世界経済に占めるアジアの存在感は非常に大きく、グローバル企業や市場もこの地域抜きには語れません。

 

地域共同体の枠組み

ヨーロッパのEUのような統一ブロックは存在しないものの

 

  • 東南アジアのASEAN
  • 南アジアのSAARC
  • 東アジアサミット

 

など、地域ごとに様々な枠組みや対話の場があります。

 

政治的課題と緊張関係

同じアジアでも、中国とインドの国境摩擦や、日本と韓国の歴史問題など、緊張関係や価値観の対立も少なくありません。一方で経済協力も活発で、日本企業の進出やインド人エンジニアの活躍など、地理的近さを生かした交流も行われています。

 

多様な発展途上の課題

東アジアの高度成長国と、南アジアの課題を抱える国々、さらには石油資源を巡る西アジア、旧ソ連構成国の中央アジアなど、地域ごとに発展状況や課題は大きく異なります。

 

「アジア人」というアイデンティティの曖昧さ

私たち日本人もアジア人ではありますが、日常生活で自分のことをアジア人と意識することはあまりありません。各国・各民族のアイデンティティがまずあって、「アジア人」は二の次です。

 

外部からのステレオタイプ

欧米では、日本人も中国人もまとめてアジア系(Asian)として括られますが、イギリスでは南アジア系を主に指すなど、ステレオタイプも社会や状況によって変わります。

 

状況による連帯感

留学先などアジア以外の環境に置かれたとき、同じアジア出身の者同士で仲間意識が芽生えることがあります。また「#StopAsianHate」運動のように、外部の圧力がきっかけで生まれる連帯感もあります。

 

ただ、それらは状況次第の「ゆるい」連帯感であって、ヨーロッパ人やアフリカ系の人々が持つような強固なアイデンティティとはまた異なるものと言えるでしょう。

 

おわりに: 「アジア」という言葉をどう捉えるか

ここまで見てきたように、一口に「アジア」と言っても実に多層的で、一筋縄ではいかない概念です。地理・歴史・文化・現代政治、それぞれのレイヤーを意識することが大切です。

 

同じアジアというだけで安易にひとまとめにせず、「どの地域の話なんだろう?」「その背景にはどんな歴史や文化があるんだろう?」と想像力を働かせることで、豊かな世界観に思いを馳せることができます。

 

筆者個人としては、「アジア」という言葉は便利なラベルではあるけれど、その裏側にある多様性を忘れちゃいけないと思います。同じアジアというだけで安易にひとまとめにせず、「どの地域の話なんだろう?」「その背景にはどんな歴史や文化があるんだろう?」と想像力を働かせることが大事かな、と。そうすれば、「アジア」という言葉を入り口にしつつ、その先に広がる豊かな世界観に思いを馳せることができるんじゃないでしょうか。以上、「アジアとは何か?」という問いに対して、いろんな角度から考えてみました。答えが一つに定まらないからこそ、面白いテーマでもありますよね。皆さんにとって「アジア」という言葉はどんなイメージだったでしょうか?本記事が、改めてアジアについて考えるきっかけになれば幸いです。